私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

「芸術者」と言う考え方

この記事は私がメイン・ブログにしているトップページ - 「芸術の20世紀 喪失宣言」からの転載です。

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「芸術家」という言葉はあるんですけど、「芸術者」という言葉がないんですねぇ。
「技術者」とか「労働者」はあるのに「芸術者」はない。

同じように、「書道家」とか「文筆家」とか「武道家」なんかも「〇〇者」がないですよね。

(あるとすれば「武芸者」くらいでしょうか)
どうも、「〇〇家」というのが「エラソウ」に聞こえるんですね。

「芸術家」の人の中でも『私が芸術家です!』と言い切る人って意外と少ないような気がします。
人から言われると否定しない人が多いですけどね。

 

要するに、『芸術家です』と言って、「エラソウな人」だと思われたくないから、自分では言わないんじゃないかと思うんですね。
だったら、「芸術家」はやめてしまって、「芸術者」と言えばいいんじゃないかなと思ったわけです。

(労働者や技術者みたいに「〇〇者」はえらそうに聞こえないことが多いので)

 

「〇〇家」と言うと、ナントナク「世間一般に認められた〇〇家」というイメージがあるので、どうしても、自分で自分のことを、『私が、世間一般に認められた〇〇家です』と言ってしまうとエラソウに聞こえてしまうんだと思います。


それで、「芸術者」だったら人にも言いやすいんじゃないか?っていうのもあるんですが、実は、それだけでもなくて、「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」の三者を含めた意味で「芸術者」という言葉があるといいんじゃないかなと思っているわけです。

そうすれば、さらにエラソウに成りにくいような気もしますし。

つまり、立場の違いはあっても、この「芸術に関わる三者」は、対等にしておいた方がいいように思いますから、それらを一括りにする言葉があってもいいように思うわけです。

今は、「創作者」ばかりが「芸術家」と言う扱いを受けていますし、それでいて、実は「批評家」の影響力の方が強かったりもしますから、やや、力関係が不均等で不自然な感じがするわけですね。

まぁ、そんな中で「鑑賞者」は、『黙って、イイと言われるものを見ていればいいんだ!』というような感じにしか見えませんけど、もう少し「鑑賞者」が対等な立場にいた方がいいような気がするんですね。


そんなことも含めて「芸術者」という言葉を使って行こうと思っているわけなんです。

 

つまり、「創作すること」と「鑑賞すること」が対等に対峙していないと、本当の意味で「芸術」とか、そこから生まれる「感動」と言うモノは成立しないんじゃないかと思うわけです。
 
「鑑賞者」と「批評者」の違いは、「鑑賞者」が「芸術を肯定的に見るという立場」であるのに対して、「批評者」は「芸術を批判的に見る立場」と言うことだと思っています。

そういうと、「批評者」と言うのは「ケチばかり付ける人」だと言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではなくて、「批評者」と言うのは「芸術」を批判することで、そこに意味を見つけ出すような立場と言うことです。

要するに「鑑賞者」は芸術作品全般の中から「自分が好きな作品」を探そうとしますし、ある一つの作品の中にも「自分の好きな所」を探そうとする、つまり、「芸術を肯定すること」によって、そこに意味を見つけ出す人のことですが、「批評者」は、それとは逆方向からの視点をもって、「自分の好きな作品」に対してであっても、そこに批評を加え、そのことによってそこに意味を見つけ出そうとするような人ということです。

この二つの立場は、芸術にとって両方とも必要だと思うわけですね。
そして、「創作者」を含めた三者が対等であれば、よりいいんじゃないかと言うことです。

こう考えれば、少なく見積もっても人類の半分以上の人は「芸術者」であるといってもいいでしょうし(もっと多いかもしれません)、それらの人たちが、『みんな対等に芸術に関わっているんだ!』ということが、とっても「スバラシイこと」なんじゃないのかなと。

まぁ、そんな風に思っているわけですね。


そういうわけで、『私も含めて、みんな芸術者です!』

 

と言えば、少なくともエラそうではないかな?すこしイイかな??

と思います。

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追記

本文の中で、「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」と言っていますが、「三者」それぞれが独立しているとは限らないと思っています。

「創作者」でもあり「鑑賞者」でもある人や、「批評者」でもあり「鑑賞者」でもあるという人もいるでしょうし、「三者」全ての視点を併せ持っている人もいると思います。

また、「鑑賞者」としての視点が希薄な人が、「芸術」に関する興味が薄いということではなく、あえて積極的に鑑賞はしないということだと思っています。
当然、「創作者」についても「上手い・下手」とは一致しないということになります。
「下手な創作者」でも、「創作」や「表現すること」に対して必要性を感じていて、「創作者としての立場」を強く持っている人は居ると思いますし、「上手い人」が、みんな「創作すること」や「表現すること」に強い必要性を感じているとは限らないし、そこに多くの労力を費やすとも限りません。

要するに、この「芸術者」という言葉は、「芸術」に「何らかの必要性を感じている人」を指しています。
そして、「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」は、その「三者」それぞれの立場の中で、その人がどの立ち位置に重心を置いているのか?そして、そこにどれだけの必要性を見出しているのか?を示すための言葉です。

そして、さらに、その「三者」における力関係が出来るだけ対等な状態であれば、いいんじゃないかと思っているわけです。