私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

「地上の楽園」

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よく南国の島に行くツアー旅行のキャッチコピーなんかで、そういう手つかずの自然が残っている場所を「地上の楽園」と言われることがありますけど、未開発の場所を「地上の楽園」と言うのならば、開発されマクリの「都会」とは、「地上のナニ?」に成るんだろうなと思うわけです。

「地上の地獄」っていうのは、いくらなんでも”怖すぎ”なのでやめといて欲しいと思いますけど。

でも、やっぱり「都会」と比べての「地上の楽園」なんだと思いますから、そうなると、どう考えても「都会」の方は、あまりいいイメージが出てこないような気がするわけですね。


しかし、よく考えてみると、「都会」と言うのは、人間が、ある意味で「楽園」を築きあげようとして開発を続けてきた結果なんじゃないかと思うわけです。

つまり、「都会」こそが本当の「楽園」であるハズなわけです。


実際、現在の「都会」での生活は、ほんの数世代前の時代の人から見たら、間違いなく「楽園」のように思えるものだと思います。

そんな中で、「未開の地」を「楽園」と呼んで、自分たちが長年かけて築き上げてきた「都会」を、「逆・地上の楽園」と呼ぶような事態になってしまったのだとしたら、どこでどう食い違ってしまったのだろうか?と思うわけですが、実際問題として、「都会」って、良くなったんでしょうか?それとも、悪くなったんでしょうか?

なんで、「都会」を「地上の楽園」であると感じられないんでしょうね?


まぁ、それは「ないものねだり」と言うことなんでしょうが、それだけでもなくて、「都会」の変化が速すぎるんだと思いますね。

『あぁ、「楽園」だなぁ』と感じる前に、もう次の形に変わってしまうから、「人間」が「都会」に追いつけなくなってきているんだと思います。


だから、「未開の地」に「楽園」を感じるのかも知れないですね。
つまり、一生懸命についていかなくてもイイと言うんですか?
そういう安心感みたいなものが「楽園」を感じさせるんだと思います。


「都会」に居ると、いつも「便利さ」に一生懸命ついていかないとならないし、いつも「新しい便利さ」を習得することを迫られる感じがするわけです。

もう少し時間を「スロー」にすることが出来れば、「都会」は信じられないほどの「地上の楽園」に感じられるように成るような気がするんですね。


そうすれば、『毎日が楽園生活』ということに成るわけで、万々歳だと思うんですけどねぇ。

どんなもんでしょう?


『そんなウマイ話があるわけないだろう!』

「そうですよねぇ」

まっ、もしも、そんな風に成ったらいいなっていう話ですね。