私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

「DNAが運んでいる情報」は「人間の情報」ではないんじゃない(のかな?)

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「DNAが運んでいる情報」について、その情報こそが、人間と言うものの実体であって、個々の人間は、それを世代から世代へつないでいくための”器のようなもの”に過ぎないと言う考え方があると思うわけです。

それは、それで一つの事実なのかなとも思うのですけれど、私は、「DNAが運んでいる情報」は「人間の情報」ではないと思っているわけです。

つまり、「DNAが運んでいる情報」とは、「物質としての人間」や、せいぜい「生物としての人間」の情報であって、人間自身が捉えている人間としての「人間の情報」ではないと思うわけです。


ここでいう、人間自身が捉えている人間とは、人間の中の「人間的な部分」ということです。

私には、この「人間的な部分」が、すべて遺伝子によるものだとは、到底思えないわけです。
と言うか、そこから外れた部分こそが、「人間的な部分」なのだと思うわけです。


例えば、「本能」は遺伝子に組み込まれているのでしょうが、人間は「本能」から外れたこともするわけです。
つまり、全てにおいて「遺伝子の命じるままに動かされている」とは言えないと思うわけです。


『いやいや、それも含めて遺伝子の指図したことなんですよ』と言われてしまえば、目に見えないことなので、『違う』とも言いきれませんが、このような『遺伝子が指示を出している』と言う考え方が、『それチョット違うでしょ!』と思うわけです。


実際には、遺伝子は情報を伝えているだけで、なにひとつ、指示したりはしていないわけです。

もっと言えば、情報を伝えてさえいなくて、情報を記録しているだけなわけです。


実は、それらの情報を管理していたり、使ったりしているのは、いま生きている個々の人間の脳なわけです。
そして、そこに生み出される一つの世界を、「精神」とか「心」とか「魂」と呼んでいるのだと思うわけなのです。

そして、それこそが正に「人間的な部分」なわけです。


確かに、その「脳」も遺伝子情報に基づいて構成されてはいるわけでしょうが、それは「脳」の組織についてであって、その中で、”今”生み出されている思考ではないと思うわけです。

つまり、ここでも「DNAが運んでいる情報」は、あくまで”物質的な範囲”のものであって、”人間的な範囲”にまでは及んでいないと思うわけです。


実際は、「DNAが運んでいる情報」が人間の実態なのではなくて、いま、個々の人間が行っている「行為」や「思考」が人間の実態であって、それらの「思考」や「行為」が情報源となってDNAに記録されていくのだと思うわけです。


これは「ニワトリが先かタマゴが先か」みたいな話になってしまうわけなので、どっちでもいいと言うようなものなわけですけれど、いま居る人間の創り出している情報が”サキ”で、遺伝子は”アト”だという方が理屈があっているように、私には思えるということです。


それから、『「DNAが運んでいる情報」こそが人間の実態である』と言っても、何も生み出せる気がしませんが、『今、人間が次の世代に伝える情報を作っているのだ』と言えば、何かが生み出せそうな気になれるということはあるのかなと。


そんなところで、よく知りもしないことを言ってみた。

どうもすいません。

 

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※この記事は私がメインでやっている下のブログからの転載です。