私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

【民主主義=多数決】 と言う公式は、もう考え直した方がいいのでは?

この記事は私がメイン・ブログにしているトップページ - 「芸術の20世紀 喪失宣言」からの転載です。

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現在までの民主主義の歴史においては、常に『多数決で決める』と言うことが大原則であったわけですけれど、これは、もう成り立っていないことが、はっきりして来ているんじゃないのかなと思うのです。


多数決と言っていますけど、実際に多数決をとることが全くできていないわけで、実態としては、今行われている政治がどれだけの人に支持されたものであるのかは、もう誰にもわからないものになってしまっていると思いますね。

それでも、そのシステムに頼り切っているために、「多数決」と「民意」はどんどん乖離していく一方なわけです。

だから、何か代替案を導き出さなければいけないと思うわけです。
それをすることが、いま政治にできる数少ないことではないでのでしょうか?

政治家や学者が寄り集まって、一生懸命考えれば、きっと?、何らかの策が浮かんでくるのではないかと思います。
正直言えば、それらの策にはほとんど期待が持てないわけですけれど、それを考えることや実行してみることで、現行の民主主義と言われているものが、如何に民意からかけ離れたものであるのかが、洗い出されて来れば、どこが問題なのかぐらいはわかってくるんじゃないでしょうか?

そして、そこからどう対処するのかが本題なわけです。

その具体策については、私などが考え付くようなものではないでしょうが、私がいま思いつくことは、「投票の義務」と「投票の匿名性」を両立させなければ【多数決=民主主義】も成り立たないということなのです。

「全員投票」を強制的に行おうとすれば、結果的に「匿名性」が失われてしまうでしょうから、「政治的な意思の表明」を個人に対して強要することに成ってしまいます。

 ※強制であるということは、投票が実行されたことが確認できなければ意味がない
  ので全員が投票したことが確認できるようなシステムが必要に成るでしょう。
  おそらく、そこから「匿名性」が崩れていってしまうように思います。

でも、「多数決」は基本的に全員が投票することを前提に成り立っている制度なわけですから、全ての人が投票しなければ、「多数決」でも、なんでもないわけで、そこを何とかしなければ、「民主主義」とは名ばかりで実体は無いも同然なわけですね。

そう考えた場合、「民主主義」は立ち上げられたまま、まだ実行に移されていなかったとも言えるのではないでしょうか?


そこで、思い当たるのは「裁判員制度」や「陪審員制度」のようなものです。
もしかすると、人数を限定して、形だけに成っている「全員投票」を捨てれば、「投票の義務」と「投票の匿名性」を両立できるのではないのかなと。

 ※こちらも「匿名性」については、完全には確保できないかも知れませんが、
  少なくとも「投票の義務」については、ほぼ確保されるでしょうし、確実に 
  限られた人数の中での「全員投票」だけは確保できます。

とまぁ、そんなことも考えるわけですが、もしかすると、今の状態が、国を動かしている人たちにとって、結構都合がいいのかもしれませんよね。

だとしたら、『変わるわけないじゃん』ですよね。

そして、これが一番濃厚な説なのかも知れません。