『こんとんと めいかいの あいだには』
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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」
『こんとんと めいかいの あいだには』 しんじつが あり
しんじつが ないところには うそが つくりだされる
ひとたび うそが つくりだされて しまえば
それは またたくまに せかいを おおいつくし
この よのなかは うそに そまる
しかし うそにも かならず
こんとんが あり めいかいが あり
その あいだには しんじつが ある
だから この せかいは しんじつで おおわれている ということもできる
それならば なぜ しんじつのないところが あり
そこに うそが つくりだされて しまうのか
おそらく そのとき そこには
こんとんと めいかいだけが あり
その あいだが ないのだろう
つまりは こんとんと めいかいの あいだに
だれひとり しんじつを みつけだそうと しなくなったとき
この せかいは すくいようのない あざやかさで
うそに そめあげられて いくことに なるのだ
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※『 』 の中は「題の題」のようなものです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名(ニックネーム)」だと思ってください。
あぁ、言い忘れてましたが、「絵の題」としてつくっています。
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※上の記事に関連することを、下のリンクでも説明しています。
geijutuno20ctsousitu.hateblo.jp