私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

『もしも それが とうぜんの なりゆきで あるの ならば』

※下の「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」は『そんな らくえんと いわれる ばしょ』という絵の二つ目のタイトルです。これを私は「ダブル・ネーム」と呼んでいます。(そちらの絵も、同時に投稿してありますので、どうぞご覧ください)

 

 
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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」

 

 

なんごくの しまで ヴァカンス


ほどよく ちかくて
ほどよく はなれた ところに あり

ほどよく おんだんで
ほどよく さわやかな きこうの

ほどよく ちいさい しまが
うみの まんなかに ポッカリ うかんで いる

ほどよい しおの かおりと
ほどよい しめりけを ふくんだ かぜが
ぼくの まわりを 
ほどよく さわさわと ふきぬけて ゆく


そんな ときの 
とうぜんの なりゆきで

ぼくは いま
ほどよく ひざしを さえぎり
ほどよく こもれびを とおす
ヤシノキの こかげで 
のんびりと ひるねを している

もちろん サン・グラスを かけて 
もちろん デッキ・チェアに ねそべって 

そして もちろん かたわらの サイド・テーブルには 
のみかけの カクテルが おいて あって
もちろん グラスの なかで とけた こおりが 
ときおり カランと おとを たてて いるに きまってるさ

それが とうぜんの なりゆき なのだから


そして これまた 
とうぜんの なりゆきとして

その ヤシノキを 
いつもどうり やってきた のんきな ヤシガニが 
ノコノコと のぼって いくに ちがいない

そして これまた 
とうぜんの なりゆきとして

その ヤシガニ
ひとかけらの あくいも なく 
きまじめな かおつきで 
もくもくと ヤシのみを きりおとすに ちがいない

そして これまた 
とうぜんの なりゆきとして

その ヤシのみは
みごとに ぼくの あたまに ぶちあたって
ぼくの あたまが パカッと まっぷたつに われて
のうみそが とびちるに ちがいない

すべてが あまりにも ひの うちどころの ない 
とうぜんの なりゆきとして


そのとき きっと 
ぼくは サイコーに しあわせな きぶんで あるに ちがいない


こんなにも かんぺきな なりゆきは 
そうそう ある ものじゃ ない


でも 
そんなことを くうそう している この ぼくも 
すこしは しあわせ なのだろう

『もしも それが とうぜんの なりゆきで あるの ならば』

 

 

※「ダブル・ネーム」については

「ダブル・ネーム」と言う考え方 - 私は、そんなわけで20世紀をやめました

こちらの記事でも説明しています。

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※『 』 の中は「題の題」のようなものです。

その絵を呼ぶのに使う「呼び名(ニックネーム)」だと思ってください。

あぁ、言い忘れてましたが、「絵の題」としてつくっています。

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私は、自分の絵に「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」と呼んでいる「長い題」を付けているんですが、2020年の5月頃からは、そこに、さらに、「音楽」を合わせるということを試行しています。

 

※「曲」・「絵」・「詩のような題=ポエティック・タイトル」の順で貼っておきます。

もちろん、どういう見方をするかは自由ですが、初めに曲のリンクをクリックして音楽を聴きながら絵を見て、その後タイトルを読んでいただくというのが、作者からのおススメです。

 

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※上の記事に関連することを、下のリンクでも説明しています。

 

geijutuno20ctsousitu.hateblo.jp