私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

『きぼう とは』

私は、自分の絵に「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」と呼んでいる「長い題」を付けているんですが、2020年の5月頃からは、そこに、さらに、「音楽」を合わせるということを試行しています。

 

  ※「曲」・「絵」・「詩のような題=ポエティック・タイトル」の順で表示します。 もちろん、どういう見方をするかは自由ですが、初めに曲のリンクをクリックして音楽を聴きながら絵を見て、その後タイトルを読んでいただくというのが、作者からのおススメです。

 

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www.youtube.com

 

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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」

 

『きぼう とは』
よのなかを てらす ゆいいつの ひかり

きぼうとは
ひとを みちびく ただひとつの とうだい 

きぼうとは
それを たどって ゆきさえすれば
きっと いきることの いみに たどりつけるという
たった ひとつの みちしるべ


つまりは きぼうとは
もしも それが うしなわれてしまえば
ひとの こころから 
いきることの よろこびも うしなわれてしまうという  
のろいの じゅもん でもある

つまりは きぼうとは
もしも それが きえうせてしまえば
ひとの おこないの なかから
すべての いみも きえうせてしまうという
しの よげん でもある

つまりは きぼうとは
それが あたえられた ものにとっては
かがやき でもあり てんへ のぼる かいだん でもある

つまりは きぼうとは
それが あたえられなかった ものにとっては
まっくらやみの あんこく でもあり ならくのそこへの いっぽんみち でもある


だから きぼうとは
すべての ひとに おなじだけ
すべての ひとに おなじように

そう かんぺきな タイミングで あたえられなければならない


つねに じゅんびは できている
じゅうぶん よういは ととのっている

このせかいには 
ひとりに ひとつの きぼうが よういされ

いつも かんぺきな タイミングを まっている
いつでも りそうの あいてを まっている


なんぴとたりとも
その タイミングを じゃま してはならない

なんぴとたりとも
ひとの きぼうを よこどり してはならない


なぜなら きぼうが たりなくなってしまうから

そう つまり 
ひとりに ひとつの きぼうが あたえられなく なってしまうから
それでは だれかが しんでしまうから
それでは みんな しんでしまうから


そんな ときには たりない きぼうを わけあうしかない

たとえ それが かんぺきな タイミングでは なくなってしまうとしても
たとえ それが りそうの あいてでは なくなってしまうとしても

それでも そうするしかない


そう つまり
いまが そのとき なのだから
そう つまり
いつでも そのとき なのだから

 

 

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※『  』の中は「題の題」のようなモノです。 その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。 あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」として創っています。

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※上の記事に関連することを、下のリンクでも説明しています。

 

geijutuno20ctsousitu.hateblo.jp