『あたえられるのは 「おまえ」だけ』
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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」
『あたえられるのは 「おまえ」だけ』
「わたし」は だれからも あたえられない
ひとは
「じぶん」の ことを なにひとつ きめることが できない
「じぶん」が うまれもって あたえられる
「くに」 「じんしゅ」 「ようし」 「せいかく」 「のうりょく」 「かんきょう」 そして 「じだい」
どれ ひとつ とっても
「じぶん」で えらべる わけでは ない
「じぶん」のこと なのに
しぜんは
それらの じょうけんを すべて けっていした あとで
それを
「おまえ」として いっぽうてきに わりあてて くる
たしかに
その 「おまえ」を うけいれたと しても
それも 「じぶん」では あるだろうし
そこで すこし がんばれば きっと おきにいりの 「じぶん」が できるだろう
しかし それは 「わたし」では ない
「おまえ」を いっしょうけんめい みがいても
「わたし」には ならない
しぜんから いっぽうてきに わりあてられた 「おまえ」を
「わたし」とは いえないから
あたえられた 「おまえ」を すてた ところからが
「わたし」の はじまりに なる
あたえられた 「おまえ」を すべて うしなっても
まだ
だれか いたら
それが
「わたし」だ
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※『 』 の中は「題の題」のようなものです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名(ニックネーム)」だと思ってください。
あぁ、言い忘れてましたが、「絵の題」としてつくっています。
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