『あの むしあつい なつのひ』
もう一曲
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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」
『あの むしあつい なつのひ』
ぼくは
げんばくが とうか された ひろしまに いた
ぼくは
その げんばくを とうか した ばくげききに のって いた
ぼくは
にほんの どこかに いて てんのうへいかバンザイと さけんで いた
ぼくは
イギリスの じょうひんな かていの にわさきで
アフタヌーン・ティーの クッキーを つまみ ながら だれかと だんしょう して いた
にわに さく くさばなの うつくしさに ついて
きっと そうに ちがい ない
あの むしあつい 9がつの あるひ
ぼくは
りょかくきが つきささった まま もえさかる こうそうビルで
ほのおに やかれ にげまどう ひとの なかに いた
ぼくは
その りょかくきを のっとり ビルに つっこんで
アッラーアクバルと さけびながら すでに じばくして いた
ぼくは
にほんの どこかで テレビを みながら
へぇ たいへんなことが おきたもんだと おもって いた
そう
まったくの ひとごとと して
きっと そうに ちがい ない
そして いま
ぼくは
げんばくの ひには まよわず なみだを ながし
グラウンド・ゼロに むかって まよわず いのりを ささげる だろう
そう
いつわり ない かなしみを こめて
そう
それでも やっぱり まったくの ひとごとと して
きっと そうに ちがい ない
そのとき
ぼくが どこに いたかは わからない
でも
ぼくが どこかに いたの ならば
きっと
そのとき そのばしょで まよわず いきて いた だろう
だから いまは
まよって いようと おもいます
いったい ぼくは
どこに そして だれに むかって
いのれば いいのでしょう
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※念のためお断りしますが、特定の宗教・民族・政治思想 等々のいずれにも関係ありません。
※アルカイダではありません。
ショッカーでもMAD(またまた悪事同盟)でもありません。
そういった特定の団体や世界征服を目論んでいる悪の組織には属しておりませんので、どうぞご安心ください。
と言うか、何の組織にも属しておりませんので、どうぞご安心ください。
※どういう立場に立った場合にも「かなしいこと」としか言いようのないことが起きたときには、祈り、涙を流すしかないだろうというようなことが言いたかったのですが、いったい、そんなときに、どこに向かって、誰のために祈り、涙を流せばいいのか、途方に暮れるしかないだろうということです。
でも、そんなことを言ったって、けっきょく「ひとごと」に過ぎません。
そんなことが、とても悲しかったので・・・
ただ、それだけ・・・
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※『 』 の中は「題の題」のようなものです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名(ニックネーム)」だと思ってください。
あぁ、言い忘れてましたが、「絵の題」としてつくっています。
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