私は、そんなわけで20世紀をやめました

20世紀のシッポを切り落とすために出来ることを考えます。 20世紀を辞めたら、もしかすると21世紀に就職出来るかもしれない。 いや、もう一度20世紀をやり直せばいいのさ。 もしも、20世紀をやり直せるとしたら、きっと面白いことに成るよ!

『あの むしあつい なつのひ』

 

 


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もう一曲

 


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「詩のような題」=「ポエティック・タイトル」

 

 

 

『あの むしあつい なつのひ』

ぼくは 
げんばくが とうか された ひろしまに いた
ぼくは 
その げんばくを とうか した ばくげききに のって いた
ぼくは
にほんの どこかに いて てんのうへいかバンザイと さけんで いた
ぼくは 
イギリスの じょうひんな かていの にわさきで 
アフタヌーンティーの クッキーを つまみ ながら だれかと だんしょう して いた

にわに さく くさばなの うつくしさに ついて

きっと そうに ちがい ない

 

あの むしあつい 9がつの あるひ

ぼくは 
りょかくきが つきささった まま もえさかる こうそうビルで
ほのおに やかれ にげまどう ひとの なかに いた
ぼくは 
その りょかくきを のっとり ビルに つっこんで 
アッラーアクバルと さけびながら すでに じばくして いた
ぼくは
にほんの どこかで テレビを みながら
へぇ たいへんなことが おきたもんだと おもって いた
そう
まったくの ひとごとと して

きっと そうに ちがい ない


そして いま 
ぼくは 
げんばくの ひには まよわず なみだを ながし
グラウンド・ゼロに むかって まよわず いのりを ささげる だろう
そう
いつわり ない かなしみを こめて
そう 
それでも やっぱり まったくの ひとごとと して

きっと そうに ちがい ない

 

そのとき
ぼくが どこに いたかは わからない
でも
ぼくが どこかに いたの ならば
きっと 
そのとき そのばしょで まよわず いきて いた だろう


だから いまは 
まよって いようと おもいます

 

いったい ぼくは 

どこに そして だれに むかって 

 

いのれば いいのでしょう

 

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※念のためお断りしますが、特定の宗教・民族・政治思想 等々のいずれにも関係ありません。

アルカイダではありません。
ショッカーでもMAD(またまた悪事同盟)でもありません。
そういった特定の団体や世界征服を目論んでいる悪の組織には属しておりませんので、どうぞご安心ください。
と言うか、何の組織にも属しておりませんので、どうぞご安心ください。

※どういう立場に立った場合にも「かなしいこと」としか言いようのないことが起きたときには、祈り、涙を流すしかないだろうというようなことが言いたかったのですが、いったい、そんなときに、どこに向かって、誰のために祈り、涙を流せばいいのか、途方に暮れるしかないだろうということです。
でも、そんなことを言ったって、けっきょく「ひとごと」に過ぎません。
そんなことが、とても悲しかったので・・・
ただ、それだけ・・・

 

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※『 』 の中は「題の題」のようなものです。

その絵を呼ぶのに使う「呼び名(ニックネーム)」だと思ってください。

あぁ、言い忘れてましたが、「絵の題」としてつくっています。

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※上の記事に関連することを、下のリンクでも説明しています。

 

geijutuno20ctsousitu.hateblo.jp